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kwsktr のおべんきょログ

子どもを捨てる妄想 :: お金がないから捨てる? 親である以上、それはない。

ボクには3歳の娘がいる。

ボクと嫁さんに似て、とても可愛い顔立ちをしている。お世辞とか社交辞令なのかも知れないが、誰に会っても「とても可愛い」と評される。
それでいて、明るく素直で子どもらしい子どもだし、そこそこ利発に育ってくれた。今興味があるのは、ひらがな、かたかな、アルファベット。上手に書けるわけじゃないが、ほぼすべての文字を認識してる。
娘はボクのことを愛してくれるあまりに、ボクが寝ているところに乗っかってきて「あそぼ! あそぼ!」と大声で飛び跳ねる。ボクが38度を超える熱を出して、ぶっ倒れていても……間違いなく同じことをやるだろう。
ボクはめったなことじゃ、一人でトイレに入れない。必ず娘は覗きにくる。お風呂だってそう。一人じゃ入れない。この三年間、ゆったりと湯船に浸かった記憶がほとんどない。

それに、いくら可愛くても、子育てに疲れないわけがない。真剣に子育てしているからこそ、思い通りにいかないことに腹を立てたりもする。後から考えればとても小さなことだけど、何十回も繰りかえす子どもならではの行為にイライラだってする。


そんな時、ボクは娘がいないことを妄想する。一人になりたい。誰にも干渉されずに一人になりたい。鬱気質のボクは、心からそう思い、誰にも邪魔されない深夜まで起きている。新聞が配達される音を聞いて、ようやく二時間だけ眠るために寝室に向かう。
ボクの布団の隣でぐっすりと眠る娘の頭を撫でて、存在を確認して、安心して眠るのだ。


大阪の二児放置殺人の情報が集まってきている。子育ての中で揺れ動く気持ちが垣間見れる。
それでもネグレクトだけはどうしても理解できないのは、ボクが34歳だからかもしれない。

23歳だったらどうだっただろう。嫁さんがいなくて、ボクと娘だけだったらどうだったろう。養うべき存在が娘だけではなくて、一歳の男児もいたらどうだっただろう。恐らく、もっともっともっと自分の時間はないはず。「養育しなくては」というプレッシャーは強いはず。当然、非コミュのボクには、助けてくれる人もいない。


ちょっと自信がない。すべてを放り出したいと、いまよりも強く思う気がする。
でも、きっと、それはお金がないからとかじゃない。一息つきたいから、休みたいから、一人になりたいから、ちょっとの間だけいなくなって欲しいと願う妄想の延長線上にある、それだけ。


「行政や社会に対して助けを求めればよかったんじゃないか」という声もあるけれど、この人に本当に必要だったのは直接的な『お金だけ』じゃなくて、育児の苦労を分かち合い、子ども成長を共に喜んでくれる『家族』だったんじゃないかと思う。

幸いにしてボクはパートナーに恵まれている。
娘はいろんな意味で、嫁さんに助けられている。