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両親と妹と祖母と親戚と会ってきた :: 一年ぶりに祖母に会ってみた

「正月くらいしか会えない」のは、どうかと思うけれど、片道2時間もかけて会ってきました。
一年ぶりに会うボクの娘の成長と元気な姿を見て、喜んでくれることに親としては非常に喜びを感じます。ただ、頑張っても 100 までしか数えられない3歳の娘に、100円を超える額のお年玉もいただいてしまうと、ちょっと申し訳ない気持ちもあったり。ほぼ全額、娘名義の貯金とさせていただくことにしました。ありがとうございます。


で。
一年経つと、娘もだいぶ成長しているので、楽しんでもらえたようで良かったのですが……一年経っているのは娘だけじゃなくて、誰もがなんだということを、気づいたりするわけです。
昨年、定年を迎えた父親の白髪の数や顔のシワとか、手のひらの感触とかが、「老人」なんだなぁと思わせてくれたり、母親が孫娘を見つめるまなざしも、やっぱり祖母のそれだったり。
特に祖母の様子がだいぶ変わっている事に、時間が確実に過ぎていることを実感しましたヨ。やっぱり80歳超えると、認知症の兆候は出てくるし、身体は細くなっていて。確実に生物として、一年前より衰えているんですよね。


ざっくり思ったのは、ニートやひきこもりが増えたのは、核家族化が進んだのと関係があるんじゃないかということ。
大家族であれば、自分の祖父母から老化という形で「時間とは過ぎゆくもの」というのを、目の当たりに出来るんじゃないかなぁ、と。家族内に老人がいれば、「家族を護る」という責任感だって生まれそうです。仮に三世帯で住んでいれば、年齢差から多様な社会性を学ぶことも出来るでしょう。
もっとも、身近にいる家族からだけでは気付きにくいものだろうから、結局は親の教育の部分が大きいのかも知れませんけれども。


ただ、核家族だと、両親の年齢じゃ「老化による衰え」を学ぶには若すぎるだろうし、若年齢者という守られる立場では「家族への責任」なんてもんを学ぶことは難しいのではないでしょうか。兄弟姉妹がいればまた違うのでしょうが、少子化の今、学びという部分では、核家族では足りないことが多い気がします。
両親との同居の予定がないボクとしては、娘に気付いてもらえるように声かけをしていかないと、ですね。心の底から、娘には「ひきこもり」にはなって欲しくないのでございます。



年に1回会うペースだと、元気な祖母や両親と会えるのは、あと10回とかなのかも……と、思うと片道2時間というのは、遠い距離ではないのかも知れませんよね。