kwsktr's study log

kwsktr のおべんきょログ

制作部署の承認欲求 :: 人事評価で幸せになりたい

最近、職場の人間とお酒を飲む機会が増えてきた。


転職しておよそ半年。
ボクという存在も少しだけ認知されてきたのかも知れない。
というよりも、基本的に誘いを断らないようにしているのがジワジワ効いてきて、コアメンバーに構って貰えるようになったのかな。


そんなこんなで、昨日も職場で一番偉い方のお誘いがあった。


新宿で20人くらいで飲み始め、3時間くらいご馳走になり、二次会として年齢が近い男性社員3人と飲み直すことになった。
皆さん、社歴が3年から5年ある制作部署の人間で、役職のある人も中にはいる。


最初に飲んだのは歌舞伎町だったので、南口まで移動して適当な居酒屋のキャッチに引っかかり雑居ビルの糞不味い居酒屋に入った。

制作部署の承認欲求

話を聞くと、当たり前のように不満があるみたいだ。
制作部署というのは「造ったもの」をまず第一に評価される。


基本的には、内部の設計書やお客さんの要望を元に、何かを造るのが仕事だ。
ディレクターだったり、デザイナーだったり、ライターだったり、イラストレーターだったり、プログラマーだったりする横文字クリエイティブ職の人間が、会社でやってることを一つの動詞で表現するとすれば「造る」になる。


それは「産み出す」とか「誕生させる」にはなかなかなりえない。
そして、造るという行為だけでは承認欲求が満たされにくい。


ただただ設計書通りに造るだけになると、最終的にはなんの評価もされなくなる。
作り手にもアルバイト、アウトソーシング、オフショアなんて代替品があるし、作り上げたモノにしても「なんかコレじゃないけど、まあまあいいよね」と「コレすげえよ、芸術品だろ」の差が実はあまりなかったりする。


ビジネスである以上に当たり前のようにクライアントの満足が大事だし、お客様に届く前に売り手から何らかのストップが掛かることもある。
作品の評価だって、わりとゆらゆらしているわけで「昨日は赤でも良かったけど、今日の湿度だと緑でしょ?」みたいな感覚をお持ちのクライアントだとある意味ギャンブルにもなる。


要は、造りあげたものに自分で値札が付けれないと、クリエイティブ職は息苦しくなっていくのだ。
造った行為に対してのみ評価され、めちゃくちゃ頑張って造っても、コピペやパクりで造っても、同じ評価だと、やってられない想いが湧いてくる。


また「期待を超えるデザイン」を求められたとしても、それこそ天井知らずの領域なわけです。
いまある資源の中で回すしかなくて、すべてはクリエイティブ職の時間だけがリソースとなり、ボロボロになって朽ち果てたり、戦線離脱する仲間も出てきたり。

制作部署の売上

制作部署が物凄くエッジが効いてるものを産みだしたとしても、売れないとどうしようもない。


逆に、世間的にはゴミであっても、値段が付けばゴミではなくなる。


更に、めちゃくちゃ売れるものを作ったとしても、「売った」のは営業という図式もある。


今の会社はドッカーンと伸びるわけではなく、毎年毎年確実に伸びてきた会社だ。


このご時世、ただ営業すれば売れるなんてことはなかったと思う。
業績を伸ばすために、売る側にしても造る側にしても、部署問わずに相当に無理をしてきただろう。
それでも、同じ無理をしてきたとしても、会社が求めるのは芸術品ではない。


売上という数字であって、数字を評価されるのは必ず営業職だ。


その結果が、売上の数字を伸ばす営業にはインセンティブが付き、同じ役職者でも年収に2倍以上の開きがあったりする。
500万と1000万の違いは……大きいよ。

人事評価ってのは

まあ、そういったドロドロしたのを皆さん抱えていながらも、それでもこの会社が好きだし、夢も与えてもらっている。


会社側もそれは認識していて、そろそろ人事評価が変わるという噂もある。
でも制作部署の人間は、プラスに評価してもらえるのかどうかが解らない。
だって、今まで頑張っても制作部署全体がプラスに評価されることは無かったであろうから。


願わくば会社の人間が一人残らず幸せになって欲しい。
特にここ数年の躍進を支えてきた制作部署の人たちの不満が少しでも解消されることを祈ってます。


  


昇給というのはある程度は承認欲求を満たしてくれるしね。
値札を付けれる権限よりも、早くて解りやすい。


入社半年のボクは、目の前の仕事を着実にこなし、ちょっと背伸びして仕事を掴みとっていくだけなのであんまり考えてはおりませんが…ちょっとは恩恵に預かることができたら幸せに近づけるのかもしれないな、と。