『蝿の王』 を読んで :: 殺されたら、そこで試合終了だよ
久しぶりに手にとった小説が『蝿の王』。ええ、荒んでます。
中学二年生くらいのときに、立ち読みだけで文庫版を読破した記憶があったのですが、細部は覚えていませんでした。当時は厨二病真っ盛りだったので、大悪魔「ベルゼブブ」繋がりでタイトルに惹かれ読んだので、表面をなぞるような読み方しかできなかったのでしょう。
今になってから読むと、また違った印象を受けます。
無垢な少年達の内面に眠る「闇」「野性」が、極限状態の恐怖によって呼び起こされていく様は、決して他人ごととは思えないのです。
日常の中に転がる「闇」に、ボク自身、いつ捕まるか解らないということ。
些細ではあるけれど、積み重なったストレスや、ちょっとした手違いに怒りを覚え、瞬間的に暴れだしそうな自分を感じることなんて多々あるわけです。
ボクはアスペルガー気質の為に心療内科に通院したことを通じて、自分が「闇」に捕まりやすいことを知れたおかげで、今こうして生きているかも知れません。
ただ、最後まで生き残れる気はしていません……ボクはピギーに近い気がしているのです。
年間三万人以上が自ら命を断つ日本国ですが、「何か」に殺されるよりも「何か」を殺して生き残ったほうがいいのかもね。
生きていればいるからこそ、救われるんですし。