情熱と愛情の共存
自分の持ってる何かを表現したい! この世に残したい!
といったような衝動に駆られて、いてもたってもいられなくて、がむしゃらに手を動かすことに没頭することがあります。
絵を書いたり、文を書いたり、プログラム作ったり、唱ってみたり、動画作ってみたり。
きっと貴方は、貴方にしか創れないなにか素敵な作品を完成させるでしょう。
そしてちょっと臆病な貴方は、番身近で、世界中の誰よりも信頼できて、自分の最大の理解者であるパートナーに「ちょっと見て欲しいんだけど…」といって見せたりします。
けれど。パートナーの返事は得てして貴方が臨んだ反応ではありません。 「で?」とか「面白いんじゃないかなあ」とか「俺だったらここをこうする」とか「やめておけば?」といった具合。
その反応にあなたは気付きます。
一番身近にいる人間が、貴方と同じ情熱を持ち合わせているわけではないということを。
また、自分の能力が一定のレベルを持ち合わせていないのではないかと疑い、相手のつれない態度に冷め、燻った情熱だけが残り、ブスブスと不完全燃焼を続けて貴方をドン底まで落ち込ませるでしょう。
そんなものです。そんなものなんです。
情熱は愛する人とは共有できません。
湧き上がる情熱と、パートナーへの愛情は共存できないんです。
情熱を愛する相手に向けてはなりません。
貴方の情熱は世界を相手にすべきで、貴方の愛情はパートナーを相手にすべきです。
振り向かせる相手を間違えて、落ち込んでる暇はないはずです。
世の中のほぼすべての夢を追う人はパートナーに理解してもらうために打ち込んでたりはしません。
偉大なる芸術家や表現者は、孤独や失意のうちに人類の宝ともいえる作品を残しています。
けれども、優れた作品が残せないことはパートナーのせいではなく、自分の弱さや無能さの証明に他ならないのです。
厳しいな、と思いつつ、ボクは何かを作らないといられないし、何かを作っている人を応援したくなるのです。